Q&A

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Q1 弘道館はどういうところ?

弘道館は、江戸時代の天保12年(1841年)に水戸藩の第9代藩主徳川斉昭が創設した藩の学校です。藩の学校なので藩校といいました。藩校は藩士の子弟が入学し、学問・武芸などを学んでいました。

Q2 どんな目的で建てられたの?

江戸時代の終わりの頃になると、外国(イギリス・アメリカ・フランス・ロシアなど)が日本に対して開国(貿易)するよう強く要求してきました。中国では外国と戦争が起こりましたので、日本は外国の船を追い払おうとしました。徳川斉昭も外国の侵略から日本の独立を守り、発展させることが大切と考え、そのためには優れた人材を育てることが必要であると考えて弘道館を建設しました。

Q3 弘道館の名称はどうしてつけられたの?

「弘道館」という名称は、「弘道館記」冒頭の「弘道とは何ぞ。人、よく道を弘(ひろ)むるなり。」という文章からつけられました。「弘道」という言葉は、「論語」衛霊公(えいれいこう)第十五の「子曰く、人能(よ)く道を弘む。道人を弘むるに非(あら)ず」に拠っています。また「弘道館」という名称は、当時すでに佐賀藩(佐賀県)、福山藩(広島県)、彦根藩(滋賀県)など全国5つの藩校で使用されていました。水戸藩の弘道館はその建学精神と教育内容で全国に名をひろめました。

Q4 どれくらいの大きさだったの?

弘道館の面積は約32,000坪(約10.5ha)で、日本で最大規模の藩校でした。
次いで福山藩(広島県福山市)の誠之館が23,704坪、金沢藩(石川県金沢市)の明倫堂・経武館が18,256坪、萩藩(山口県萩市)の明倫館が15,184坪でした。藩校当時の弘道館は、現在の水戸市立三の丸小学校、茨城県三の丸庁舎、茨城県立図書館まで広がる大きさでした。

Q5 弘道館は、何年くらいかけてつくられたのですか?

完成して開館したのが天保12年(1841年)8月1日ですが、その約1年前の天保11年3月に工事に着手したと記録されています。開館したときにはすべての建物が完成していたわけではなく、『水戸市史中巻(三)』によると約5年をかけて工事が完了しました。

Q6 どんな事を教えていたの?

弘道館は、学問と武芸の両方とも大切と考え、管理棟である正庁・至善堂をはさんで学問を学ぶ文館と武術を修得する武館を建てました。学問では儒学(中国の政治・道徳の学問)、礼儀、歴史、天文(暦)、数学、地図、和歌、音楽など、武術では剣術、槍、柔術、兵学、鉄砲や大砲の射撃、馬術、水泳などを教えました。医学を学ぶ医学館もあり、薬草から薬をつくったり、牛を飼い牛乳からバターをつくるなどいろいろな研究もしていました。その幅広い教育内容は今の総合大学のようなものでした。

Q7 どのような人達が学んでいたの?

水戸藩の藩士とその子供達が学んでいました。入学年齢は15歳です。それまでは城下の家塾(藩の費用で運営されていた塾)で初等教育を修め、一定の学力が身についたところで、家塾の先生が弘道館へ入学の申込みをしました。武術が無試験だったのに対し、学問は入学試験がありました。試験は、月2回の試文とよばれる試験と年1回秋の文武大試験がありました。なお、卒業はありませんでした。江戸幕府の最後の将軍となった徳川慶喜は、弘道館ができた5歳の時から11歳までここで学びました。

Q8 弘道館の試験は、どういうものですか?

文武兼備を理想とする弘道館では、「朝文夕武(ちょうぶんせきぶ)の法」と称して、午前は文館で学問を修め、午後は武館で武道を鍛えることを日課としました。学生の評価は、学問の試験の点数だけではなく、文武の総合評価によって成績の段階がつけられました。

Q9 学費はあったのですか?

無料です。久慈郡太田村(常陸太田市)周辺に5,000石の土地を「学田」に指定し、そこからあがる年貢米が運営費にあてられました。

Q10 弘道館の先生の人数は何人でしたか?

年代によって多少の変動はありましたが、文館35名、武館38名、医学館10名のほかに天文方などを含めて合計100名前後の先生がいたといわれています。
そのほかに武術を教える武館には、先生を補助する「手添え」(てぞえ)という人たちが100名から150名位いたようです。

Q11 弘道館の生徒数は、何人くらいいたのでしょうか?

学問をする文館には、約1,000人の生徒がいたといわれています。ただし、登館日が藩士の身分によって、1ヵ月のうち15日間、12日間、10日間、8日間の4つに分けられていましたので、1,000人の生徒が一同に集まることはなかったようです。

Q12 医学館ではどういう人が学んでいたのですか?

医学館の主な目的は、藩内の医学や医療を向上させることでした。そのための医者や医者の子たちの医療技術を習得させる場所として医学館をつくっています。したがって、文館や武館の生徒たちとは違い、医療に関係する人たちを対象とした研修の場所でした。また、医療や薬の製造もおこなわれていました。

Q13 医学館ではどういう勉強をしていたのですか?

医学館の医療は、老人などに漢方薬や牛乳・バターなどを与える一般的なものから、痘瘡(天然痘)予防のための種痘、そして外科手術などの特別な医療もおこなっていました。 これらの特別な医療を担当したのが医学館教授本間益軒(えきけん)と本間玄調(げんちょう)です。玄調は、益軒の養子で親子の関係にあります。玄調は、九州や関西方面で医療技術を習得し、なかでも華岡青洲(せいしゅう)に学んだ麻酔と外科手術によって、乳ガンや脱疽(だっそ・足が腐る病気)など、これまで治すことのできなかった病気を全身麻酔で手術し治すことに成功しています。益軒や玄調に教わった水戸藩の医者たちの医療技術は向上したものと思われます。
華岡青洲は紀州和歌山の出身、京都で医者としての修業を積み、全身麻酔剤の発明により外科医術の水準を高め、日本の外科医術を大きく前進させた方です。その弟子の一人として華岡流外科医術を継いだのが本間玄調です。

Q14 弘道館の「湯殿」と呼ばれている場所はどのように使用したのですか?

「湯殿」は主として藩主専用です。外部から湯や水を運んで浴した場所で、斎戒沐浴(身を清める)の場としても使用されたと考えられています。

Q15 弘道館と偕楽園はどのような関係なの?

弘道館と偕楽園は、どちらも第9代藩主徳川斉昭によってつくられました。弘道館は学問と武術を修業するところ、これに対して偕楽園はゆっくりと休養するところとして、一対の教育施設として構想されていました。この斉昭の構想は、「偕楽園記」の中で「一張一弛(いっちょういっし)」という言葉で表されています。

Q16 弘道館の建物のほとんどはいつ焼けてしまったの?

江戸時代から明治に変わる頃は、日本国内でいろいろな抗争が起こりました。水戸藩内でも考え方が違う人達の間で抗争が起きました。そのひとつに明治元年(1868年)の弘道館の戦いがありました。この戦いで文館、武館、医学館など多くの建物が焼けてしまいました。この戦いのときの弾の跡が、正門や正庁玄関に今も残っています。

Q17 弘道館は、藩校としての期間はどのくらいだったのですか?

弘道館は天保12年(1841年)に開館し、明治5年(1872年)の学制公布により閉館しましたので、藩校としての期間は約30年間です。

Q18 弘道館の石碑にはどうして「旧弘道館」と書かれているのですか?

弘道館は、明治5年(1872年)に閉館になった後、県庁舎や学校の仮校舎として使用されていましたので、藩校当時の弘道館を「旧弘道館」として区別しています。

Q19 左近の桜についてその由来を教えてください。

現在の「左近の桜」は、3代目になります。昭和38年(1963年)に宮内庁から京都御所紫宸殿(ししんでん)の庭の「左近の桜」の苗木(樹齢7年)を頂いて植えたものです。4月の初め頃に見事な花を咲かせます。種類は山桜の一種です。 初代の桜は、有栖川登美宮吉子が、天保元年(1830年)に徳川斉昭と結婚するにあたり、当時の京都御所におられた120代仁孝天皇にご挨拶にうかがった折に、御所の庭に咲いていた「左近の桜」の苗木を天皇から賜ったものです。結婚後の住まいであった江戸小石川(現在の小石川後楽園一帯)の上屋敷に植え替えて育てたものを、弘道館が開館した天保12年(1841年)に記念樹として弘道館に移して植えられました。

 

 

弘道館についてのお問い合わせ

茨城県水戸土木事務所 偕楽園公園課 弘道館事務所

〒310-0011 茨城県水戸市三の丸1-6-29
TEL:029-231-4725 FAX:029-227-7584 e-mail:kodokan@pref.ibaraki.lg.jp

 

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